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ワークショップを計画

最初は「赤瓦」のことだった。。。

琉球式古民家は、非常に美しい。

なので、それを残したい、という想いの方々がいる。

調べてみると、機能的にも良い点が少なからずあるし。

だが、古民家に住む主たちの多くは、修復に難色を示す。

ハッキリとは言わないが、修復するのは

金銭的にも、また、精神的にも

負担が大きい。

住み慣れた家に今も住んでいるのは、やはり年配の方が多く、

「屋根を直しませんか?」「赤瓦を残しましょうよ」と問うと、

「まあ、もういいさー、このままで…」という答えが返ってくる。

最初はよくわからなかった。

今はだいぶわかる。

赤瓦の修復は、高い。

赤瓦をやる職人さんが非常に少ない。

ということは、日程もあちらの都合に合わせるしかなく、

あちらが「行きます」と言う時に、家を明け渡さなければならないことも多く、

その間、どこか別のところに住むことになるが、

そこまでして修復したとしても、

次世代は、もう、

都市に住んでいて、

何となればそこで新しいお家を建てていて、

近い将来、山村に戻ってくる、とは思えない。

だったら、何のために修復するのか…

こういったことを話す時、

私たちは無意識に

古民家の風情と、

現代家屋の利便性とを

比べてしまう。

古民家の方が、安くて、維持しやすいのであればまだしも、

「民」の家は、もはや

贅沢品の部類に入ってしまう。

1軒の古民家を維持するのは、

核家族ではまず無理で、

ゆいまーる的協同作業を近隣に強いることになり、

「お互いさま」ではあるものの、

現実問題として、今の生活様式では「迷惑な話」になりかねない。

(少なくとも、頼む方は気兼ねしてしまう)

では金銭で解決しよう

とすると

前述した通り、高いのだ。

「民」家は、高くつく。。。

どこかおかしいね。

という話。

少し話は飛ぶけれども、

「だったら、自分の手で修理できるようになればいい」

というのが、「なぜいぜな」ワークショップの目的なのだ。

ただし、、、

実はワークショップなどやらなくても、

伊是名島には「何もかも自分でやった」という方々が

たーくさんいらっしゃる。

家は大工さんが建てたとしても、

その後の修繕や小さな修理など、

できることは自分でやった、という。

でも今の子どもたちは、

そういった「当たり前だった風景」を見る機会が

もうほとんど、ない。

DIY とは、昔は当たり前だったことの、焼き直し。

昔は「必要に迫られて」。

今は、

いまは…

できるだけ自立して生きるための、

あえて、お金から「自由」になるための、

自分の人生を自分でコントロールするための、

技能試験みたいなものですか。

人間の あたらしい 形の 「強さ」です。

ワークショップをしようと思った

その隠れテーマは、こういったこと。

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